教育普及研究部会

日時
2012年3月1日(木) ~2012年3月2日(金)
3月1日13:30開始~3月2日12:00終了
場所
福島県立美術館

第39回教育普及研究部会会合報告

 本年度2回目の会合は、雪の積もる福島での開催となった。その内容は、来年度から新たに幹事となる名古屋市美術館の清家三智さんの紹介に始まり、福島県立美術館館長酒井哲朗さんへのインタビュー、そして震災後の福島県下の主に教育普及活動を中心とした美術館の活動状況について3つの館から話をうかがう、というものであった。
 なお、幹事の完全な交代は2013年度に持ち越しとし、2012年度は現幹事に清家さんを加えた3人で幹事を務める。
 さて、その詳細であるが、まず1日目は、新幹事の紹介後、酒井さんへのインタビューを行った。これは、2008年の目黒区美術館でのフォーラム・連続公開インタビュー「美術館ワークショップの再確認と再考察―草創期を振り返る」からの継続して行っている美術館教育普及の草創期担当者へのインタビューの一環であり、聞き手は、現幹事の山口県立美術館の前田淳子さんと、大原美術館の私・鬼本が務めた。酒井さんは、現在も非常に先駆的な教育普及活動を実践している宮城県美術館の最初の教育部長を務められた。その学芸員のキャリアのスタートは、1969年に和歌山県立美術館(現和歌山県立近代美術館の前身)であったが、同館は、当時、常設展示がなく、また所蔵作品も十全ではないという状況で、そのかわりに友の会主催の実技講座や鑑賞講座を盛んに行っていたとのこと。インタビューでは、その経験が、「美術館でしかできない」しかし、「教養主義的ではない」宮城県美術館の教育活動の方向づけたようにうかがえた。いずれこのインタビュー内容は、何らかの形で文章化したいと考えている。
 この日の後半は、福島県立美術館の橋本淳也さんより、震災後の活動状況についてお伺いした。橋本さんは、震災後の状況を時系列に沿った詳細な表として示してくださった。震災時は、特別展でかなりの来館者があったが、幸いにもけが人はいなかったが、その後、4月25日まで臨時休館となり、教育普及活動もすべて中止したそうである。一方で、震災後、これまで館の活動に関わってきたアーティストたちから何かできないかとの申し出が多々あり、館内で議論はあったものの、そのアーティストたちとの活動を実施することにし、5月からは通常の教育普及活動も再開された。話の最後に、震災時まさに制作の最中であった、鑑賞用補助ツール「アート・キューブ」の紹介があった。これは郡山市立美術館と共同開発・制作したもので、カバンの中に10センチ四方ほどの立方体が12個入っており、さらに、それぞれのキューブに、色、タッチ、絵具、版画、感覚といったテーマに沿ったツールが入っている。さらに大勢の鑑賞者の前で、説明などができるよう、30センチ四方ほどの立方体も今回制作したそうだ。これは、参加者にとっても非常に面白いツールであった。
 翌日は、引き続き震災後の活動状況について、福島県立博物館の川延安直さんからお話をうかがった。同館は、会津若松市に位置し、この地は、地震や放射能の被害は軽微で、実質的な被害としてはいわゆる風評被害であるとのこと。同館では、2010年度より「漆の芸術祭」という企画を行っているが、震災後の大きな活動としては、この2011年度版を実施したことである。さらに、「東北へのエール」(アーティストが自身の作品や企画によって東北にエールを送るというもの)という企画によって集まった作品の展示・企画を抱き合わせで実施したとのこと。ただ、同館でも、これらの事業を実施をすべきかいなかという意見はあったようだ。しかし、博物館内ではもとより、仮設住宅などでもワークショップを実施し、多くの方に参加してもらったとのことだった。また、「震災だから特別のことをするのではなく、通常の活動として」実施した週末アートスクールは、「外で遊ぶ」という非常にシンプルで、かつ印象的な活動であった。反省点として計画的効率的ものではなかったが、しかしできることは全てやったとのこと。また、被災地で完結しないようにしたい、ともおっしゃっていた。実際の運営としては、3人の博物館員で回していることや資金面のこともあり、外部からの企画提案で断ったものもあったようだ。一方、人員込みで、かつ、柔軟な資金対応をしてくれた助成や企画提案は非常にありがたかったとのことだった。
 会合の締めくくりは、郡山市立美術館の永山多貴子さんのお話であった。永山さん曰く、まずこの震災でわかったのは「被災するということは個人的体験である」こと、そして「自分は市職員だった」ということ。先の2館と違い、郡山市立美術館は「市立」であり、県職員以上に震災の最前線にたって仕事をしなければならなかったそうである。永山氏も自衛隊の炊き出し等にかりだされ、おびただしい数のおにぎりを握ったそうである。また、男性職員は避難所での夜勤などもあった。なお、現在も、震災対策本部に交代で詰め、罹災証明の発行などを行っている。建物は一見無事なようだったが、余震で天井がずれ1年間休館予定であったが、その中で、学校の先生方の要望や友の会から市への嘆願書などもあり、結果、昨年7月に無事オープンできた。一方、同館では、震災後に特別に何か、ということはせず、予定していた「当たり前のこと」を当たり前にすることにしたとのこと。一つは特別なことをする余裕がなかったからだが、それ以上に、被災状況が個別に違うことからくる人々の複雑な心理状況があったため、特別に何かするよりも、通常通りに活動を行い、少しでも被災した人たちに「普通の状況」をとりもどして欲しいとの思いがあったようである。それを表すように、オーソドックスなワークショップや講演会、ミュージアムコンサートなどに、いつもの2倍の人たちが集まったとのこと。このような経験を通して、改めて「市立」美術館とは何か、あるいは美術館が行っている保存とは何か、教育普及とは何か、このような当たり前のことを見つめ直しているところである、とのこと。
 3館の話を聞き終え、我々もまた、普段やっている活動や美術館そのものの存在がどういう意味があるのかを考えさせられた。震災後1年もたたず、未だ放射能の問題などもある状況で、はたして福島で会合を開き、震災後の活動を聞くことは県下の人々の心情も考え、妥当か否か、という葛藤がなかったわけではないが、結果としては参加者にとって非常に意味ある会合になったように思う。
(報告者 大原美術館 鬼本佳代子)

出席人数

会員13名
オブザーバー9名
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