石巻文化センターの救援

村上博哉(事務局企画担当幹事 国立西洋美術館学芸課長)


 昨年[2011年]4月15日に発足した「被災文化財等救援委員会」による文化財レスキュー事業の最初の対象となったのは、全美会員館の石巻文化センターである。全美事務局は4月7日に同センター仮事務所に連絡を取り、救援要請を受けたが、すでに文化庁がレスキュー事業の立ち上げを発表していたため、文化庁、救援委員会事務局(東京文化財研究所)と情報交換をしながら準備を行い、救援委員会の構成団体として石巻救援に加わることになった。
救援活動は4月20-22日、文化庁、国立文化財機構、地元県・市教委等と宮城県美術館による瓦礫撤去に始まり、全美事務局が合流した26日には美術収蔵庫内の土砂撤去と作品取出しが行われた。そして4月27-29日の3日間、上記の諸団体と、宮城県美術館および県外からの全美チーム、総勢約20名の協同により、作品・資料212件を宮城県美術館へ移送した。
続いて、移送翌日の4月30日から5月28日まで、宮城県美術館で救出作品の応急処置が行われた。これには全美会員館職員のほか、東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター、民間の修復家、東北大学の学生ボランティアの協力を得た。応急処置を終えた作品は、乾燥期間を経て、6月に東北芸術工科大学と国立西洋美術館へ再移送されている。一方、津波の被害を逃れた文化センター2階の展示作品は、しばらく館内に残されていたが、空調が止まった環境での劣化を避けるため、11月中旬に彫刻16点を東北芸術工科大学へ移送した。また、1階で被災した大型ブロンズ彫刻1点が、12月初めに県外の施設へ移された。
以上の活動には、全美会員館19館から39名が参加した。救出作品・資料231件(約800点)は、現在、宮城県美術館、東北芸術工科大学、東京藝術大学、神奈川県立近代美術館、国立西洋美術館に保管されている。ほぼすべてが修復可能と見られ、流失あるいは著しく破損したものは2、3点にとどまる。東北芸術工科大学に預けられている大量の作品を、燻蒸等の処置の後にしかるべき美術館へ移し、長期的な安定収蔵をはかることが目下の課題である。

 全美による組織的な救援活動は、1995年の阪神淡路大震災、1998年の高知水害に続いて3度目である。阪神の震災を機に定められた「大災害時における対策等に関する要綱」は、今回の活動の貴重な指針となった。だが、災害が広域にわたり、厖大な作品・資料が津波の被害を受けた今回の震災には、新たな経験と教訓もある。特に、水損により緊急の処置を要する大量の作品をどこへ運ぶかが大きな問題だったが、幸いなことに、宮城県美術館からスペースの提供を受け、応急処置作業とその後の保管にも館をあげて協力していただいた。こうした被災地域における中核館の存在は、救援を行う際の最も重要な条件のひとつであろう。
 また、全美は美術分野の全国的組織としてレスキュー事業の一端を担っているが、事前の調査、宿の確保、ボランティアの手配など、あらゆる面で地元宮城県の教育委員会のご協力がなければ、救援活動は何一つ進まなかった。この震災を教訓として、文化財の防災と災害時救援のための体制が作られるとすれば、まず各県の教育委員会と県立美術館・博物館が先導役となって市町村の施設や民間の史料ネット等と連携する「県単位の領域横断的ネットワーク」が構築され、それが全美のような「各分野の全国的ネットワーク」と繋がりをもつようになることが望ましいのではないかと考えている。