被災作品の応急処置と修復

伊藤由美(東日本大震災対策本部委員 神奈川県立近代美術館専門研究員)

 [2011年]3月11日に発生した東日本大震災後、文化庁が立ち上げた文化財レスキュー事業への協力要請に応え、全国美術館会議が参加したレスキュー事業は、主に沿岸地域の津波で被災した施設の美術品が対象であった。その中でも、大量の美術品が被災した施設は石巻文化センターと陸前高田市立博物館であった。主な作業内容は、美術品の被災場所からの搬出作業と、将来、本格的な修復処置が行われるまでのあいだ、損傷を拡大させず、良好な状態で保管できるようにするための応急処置であった。
 石巻文化センターに関しては、作品の被災状況は、数点の立体作品以外は破損は少なかった。油彩画、日本画、紙作品、写真やハガキなどの資料、212件(800点)すべてが一度は水没しているので、当初は絵具の剝落やカビなどの典型的な水損被害が懸念された。しかし油彩画は予想していたほどキャンバスの収縮や剝落は起きず、カビの繁殖も一部の作品に見られはしたが、それほどひどくはなかった。海水の成分の影響と思われる。むしろ、近隣の製紙工場から流出した大量のパルプや砂の付着がひどく、それらの除去が主な作業であった。紙や資料は、搬出作業時に、乾燥で密着するのを防ぐためポリシートで包んだため、処置前の仮置き期間にカビが生え始めた。水洗できるものは水洗をし、敷干し乾燥をしたが、大量の作品の乾燥スペース確保に苦心した。処置後は燻蒸の実施が決まっていなかったので、必要に応じ、防黴剤入りのエタノールを噴霧した。作業場は宮城県美術館敷地内の車庫とその前の路地であったので、雨と風を避けながらの作業であった。
 陸前高田市立博物館の美術作品は、油彩画と書、水彩、版画などの紙作品であり、400号、200号といった大型の油彩画を多数含んだ156件(336点)であった。全美、救援委員会、教育委員会による被災現場の調査が始まったのは被災から3カ月後であった。建物ごと完全に津波にのまれた施設であり、気温も上昇し始めた時期であったので、作品はカビの繁殖がかなり進行していた。カビの繁殖状況、作品の大きさ、点数などの諸要素が、作業場所の選定、作業者の健康安全対策、作業方法の選択などを難しくさせた。今回は石巻文化センターのレスキュー経験をもとに、作業施設の条件、燻蒸、諸作業の手順、作業装備、設備、資材、記録、連絡、健康安全対策、空気環境、廃棄物など、可能な限り計画的に準備をした。作業スタッフも「記録スタッフ」「保存修復の専門家」「サポートスタッフ」と役割を明確にし、修復家を中心に、全国から参加した修復技術のない学芸員でも戦力となり作業をすすめ、また、処置作業のスタッフが仕事に専念できるよう、諸連絡や処置記録のパソコンへの記載など、処置作業以外の仕事を記録スタッフがするというシステムが効率よく働いた。作業場は10年使用していなかった旧岩手県衛生研究所を、電気と水道を復旧させて利用したが、使用可能電力が低く、空気環境整備にはかなりの工夫を要した。
 この2回のレスキュー事業においては、膨大な作品数のため、それぞれ1カ月以上の期間と多数の作業人員が必要であったが、当然、その間、処置判断をする修復技術者が常にいることが前提となる。日本は美術館に所属する修復技術者が非常に少なく、全期間を通して修復技術者を作業者のシフト上に配置できるように、複数の民間の修復家に参加協力をお願いすることは、非常に心苦しくもあり、難しい調整が必要であった。